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大阪高等裁判所 昭和31年(く)9号 決定

本籍 韓国慶尚南道○○郡○○面○○里○○○番地

住居 京都市○区○○条○○○町○○○番地

指物業見習 少年 ○本○介又は○相○こと金田竜(仮名)

昭和十三年二月二十五日生

抗告人 少年

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、原決定はその第二事実において、少年は窃盜をしたと認定しているが少年は絶対に窃盜をやつていないのに窃盜の認定を受け送致決定になつたのは不服であるから抗告をする、と言うのである。

よつて按ずるに杉○○代の司法警察員に対する第一回乃至第四回供述調書、同司法巡査に対する第七、八回供述調書、大○○んの司法巡査に対する供述調書、大○○雄の司法巡査に対する第一、二回供述調書、○○元の司法巡査に対する供述調書、司法警察員林栄作成の領置調書、同竹村昭夫作成の領置調書、司法警察員田中量一作成の捜査報告書(領置のつつかけ下駄の写真)等の証拠によると、昭和三十年十二月十一日午後十一時三十分頃京都市南区○○院○条上ル東○○○○町○十○番地ノ一所在の杉○○代の出店に同人の不在中小火事があり、同女が駈けつけたところ、同女が店を閉ぢた前日の同年十二月十日午後四時過から右出火前まで位の間に、何人かが出店に忍入り同女所有のつつかけ(下駄)女物黄色二寸ヒール一足(時価百九十円位)女物桐下駄二足外三点(価格合計二千二百二十五円相当)を窃取したこと、少年が同月十二日午後三時頃から同日午後七時頃までの間に履いていたつつかけ下駄が前記盜難品中の黄色のものと同一物であること、即ち少年の家で押収された右突掛下駄の裏の所謂「土ふまず」の個所に190と書いてある記号は杉○○代の手跡であり盜難品に相違ないこと、右突掛下駄は同日午後三時頃までは少年の自宅のタンスの上に置いてあつたこと、大○○雄が少年によい下駄があるやないかと言つたところ、少年は別に何処で買つたとも言はず笑つていたこと、被害者杉○○代が火事の翌日即ち同月十二日午後三時三十分頃損害見積書を消防署に提出の帰途八条派出所前を通り油小路を南に向つて歩いている途中大○の弟の方の息子と連れて歩いていた十七八才の男の履いている下駄が盜難品の黄色突掛下駄と全く同じ物であり、よく見ているとその男は吃驚したような顏をして二度程振向いて小走りに逃げるようにして八条通りを西の方に向つて行きすぎたこと、その男が本件少年であること、及び被害者の出店と少年の自宅が近くであること、これ等の情況証拠を綜合すると被告人が本件下駄等を窃取した犯人であると認定するを相当とする。少年並に少年の実毋○末○は右突掛下駄は同年十一月十日夜宇賀神社の夜店の晩に三十歳位の女から金二百円で買受け保管していたものであると主張するが、○本○、○岡○江、○川○キ、○村○つ、中○重○の各司法巡査に対する供述調書によると本件黄色の突掛下駄は○本○が杉○○代に卸売した品で○岡、○川、○村、中○等の夜店の商人は斯様な品を仕入れたことなく又之を売つたこともないと言つている事実から少年及び実毋の弁解は採用し難い。それゆえに原決定の事実認定は正当である。

本件抗告は理由がないから少年法第三十三条第一項少年審判規則第五十条により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 辻彦一)

別紙(原審の保護処分決定)

昭和三十年少第三〇〇四、五〇二一、六五四二号

三十一年 一九二号

送致決定

職業 指物業見習

(少年) ○本○介又は○相○こと金田竜(仮名)

昭和十三年二月二十五日生

本籍 朝鮮慶尚南道○○郡○○面○○里○○○

住居 京都市○区○○条○○○町○○

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

犯罪事実

少年は、

第一、昭和三十年六月二十二日午後八時頃、京都市○区○○路通○○○上ル○○町角附近の路上において、さ細なことに言懸りをつけて、長○○苗(十六年)の左頬を右手で一回殴打し、よつて同女に対し、全治までに三日間を要する左頬部打撲性腫脹、及び下口唇打撲性裂創を負わせ、

第二、同年十二月十一日午後七時頃から十一時三十分頃までの間に、同市○区○○○通○○上ル○○条○○町○○の○所在の杉○○代が看守する出店に、窃盜の目的で侵入し、同女所有の女物桐下駄二足、女物革製草履一足、黄塗突掛下駄一足他二点(合計時価二千八百七十円相当)を窃取し、

第三、昭和三十一年一月二十一日午後十時頃、肩書住居において、かねてから折合が悪く反目していた継父○徳○(三十九年)から、納得するに足る理由もないのに殴打されたり、頭髮を引張られたりしたのに立腹し、同人と頭髮を引張り合つたりしてもみ合つた未、所在の醤油入り一升壜を振り上げて、同人の前額部を殴打し、よつて同人に対し、全治までに十日間を要する前額部挫傷兼血腫、鼻根部挫創、左前搏部切創兼挫創を負わせ、

たものである。

第二の事実の認定理由

少年は、第二の事実を終始否認しているものであるが、

一、杉○○代の司法警察員に対する第一、二回及び第七、八回各供述調書、司法巡査相良公男作成の捜査報告書によれば、杉○○代が昭和三十年十二月十日午後四時過頃から同月十一日午後十一後三十分頃の出火前までの間に、京都市○区○○○通○○上ル○○条○○町○○の○所在の出店に何人かに侵入されて、同女所有の女物桐下駄二足外数点を窃取されたことが認められ

二、杉○○代の司法警察員に対する第三、四回供述調書、大○○雄の司法巡査に対する第一、二回供述調書、○本○の司法巡査に対する供述調書、○末○の司法警察員に対する第一回、司法巡に対する第二回各供述調書、○相○の司法巡査に対する供述調書、少年の司法警察員に対する第三回供述調書、領置にかかる女物黄塗突掛下駄及び女物赤塗突掛下駄各一足を綜合すれば、少年が同月十二日午後三時頃から同日午後七時頃までの間に履いていた突掛下駄が前項記載の盜難品中の黄塗突掛下駄一足と同一物であること、同突掛下駄は同日午後三時頃までは少年の肩書住居のタンスの上に置いてあつたこと、同突掛下駄を右住居に持込み、タンスの上に置いていた者は、少年又は実毋○末○であつて、それ以外の者ではないことが認められ、

三、大○○んの司法巡査に対する供述調書、保護者○徳○及び参考人亀○○朗の当審判廷における供述、○末○の当裁判所に対する供述、少年の、司法巡査に対する第二回供述調書、家庭裁判所調査官に対する各供述、当審判廷における供述を綜合すれば、少年は同年十一月中旬頃から同区○○条○○○町○○の大○○光方に寝起して指物商の見習に従事し、食事のみを肩書自宅でしていたもので、同年十二月十日の晩までは毎晩大○方に寝起して外泊したりしたことはなかつたのに、同月十一日の晩は、必ずしも明確ではないが大○方を午後七時頃外出し、一旦帰つて三十分間程居て外出し、そのまま帰らずに早くとも同日午後九時頃以降に肩書自宅に帰り、そのまま同晩は同所で就寝したこと、大○方、肩書自宅、及び杉○の出店はいずれも場所的に近接していること、少年は十二歳頃から刑法第二百三十五条に触れる行為を始めその後も同行為及び窃盜罪を続発していたものであること、少年の実毋○末○は夜間は殆んど外出せず、同日の晩もずつと少年の肩書住居にいたこと、同女は今までに窃盜罪を犯したり又はその疑をかけられたりした証拠がなく、一般にその風評がよいことが認められ、

これらの各事実を綜合すれば、少年がその犯人であると推認することができる。

もつとも、少年は、自己が履いていた突掛下駄は同日午後三時頃に、肩書住居のタンスの上で発見し、実毋○末○に断つて履いたもので窃取したものではなく、同女が同年十一月十日頃に同区○の○の夜店で金二百円で買つて自宅に保管していたものであると主張するが、所論にいう少年及び○末○の各供述は、その供述相互間の矛盾と、前段記載の各証拠及び司法巡査谷口誠一外二名作成の捜査報告書、○岡○江、○川○キ、○村○つ、及び中○重○の司法巡査に対する各供述調書に対比して、到底信用できないのである。

適用すべき法令

第一、第三の事実につき、各刑法第二百四条

第二の事実につき、同法第百三十条前段、第二百三十五条

情状

一、少年は十二歳頃から刑法第二百三十五条に触れる行為を始め、その後同行為及び窃盜罪を続発したため、昭和二十八年六月二十五日に初等少年院に送致され、昭和三十年二月十六日に仮退院したものであるところ、同年十一月十五日に同年少第三、〇〇四号傷害、同年少第五、〇二一号窃盜各保護事件により試験観察に付され、補導委託先から相当な小遣等を受取つていたのにかかわらず、何等自覚自省することなく又もや前記のとおり窃盜罪を敢行したものであつて、再犯の虞が濃厚である。

二、少年は、意思不安定性の精神病質的傾向を有し、被影響性が強く、無思慮で容易に他人の誘に応じ、その時の気分次第ではどんな行動にでも出るような人間で、反省能力を欠くのではないかとさえ思われる。

三、少年は、八歳の時に実父と死別し、九歳の時から継父○徳○と実毋に養育されたものであるが、前記少年院仮退院当時から少年と継父との仲が円満を欠くに至り、本件第三の事実等の大喧嘩を何回もしており、継父は現に少年を犬猫同様畜生視しているような状態であるうえに、実毋は少年を放任するのみならず、少年の非行をかばうような状態にあるので、在宅による保護には何等の期待も持てない。

無罪

少年の昭和三十年少第五、〇二一号窃盜保護事件の各窃盜の事実については、その証明が充分でない。

以上のとおりであるので、施設に収容して、強力な矯正教育を施すのが相当であると認め少年法第二十四条第一項第三号により主文のとおり決定する。

昭和三十一年三月三日

京都家庭裁判所

(裁判官 坂本武志)

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